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TITLE : なぜ、過去の栄光に人生を左右されるのか。

私は「企業価値を向上させるためのシステム開発に携わりたい」と考え、
業界大手のコンサルティング・ファームで働くことになった。

そういった考えとは裏腹に3月初旬より
M&A支援を行う戦略事業部で働くこととなった。

そういう状況になって、自分に問い直してみた。
「私はシステム開発をやりたかったんじゃなかったのか?」と。

理系の大学院に通ってシステムのことを学んだのに
働き出したら、全く別のことをやることに抵抗感を覚えた。

しかし、本質的に考えると、このような思考パターンが一番危険である。

「私は理系だから数学が得意だ。だから、データを持ってこい。」
「私は文系だからコミュニケーションが得意だ。だから、インタビューをさせろ。」

このような発言を耳にしたことはないだろうか。

これは「視点の偏り」によって生み出される。
また、自分の得意技に陥ってしまうため、一つの視点でしか物事が見えなくなる。

人間がアイデンティティを持つことは非常に価値のあることである。
しかし、そのアイデンティティに縛られるが故に、
視点を偏りを持ち続けることは、あまり好ましいことではない。

あるベンチャー・キャピタリストの方に話を伺ったところ、
「ベンチャー企業の社長が経営に失敗するケースは
 そのほとんどが過去の経営手法・成功体験に縛られるんです。」
ということを聞いたことがある。

成功体験というものは、
自分の意志決定の自由度を下げる。

一方で長期間、成功体験を積み続ける人には共通点がある。

それは「過去の栄光はいとも簡単に捨てることができる」点だ。

かの大前研一は、松井秀喜の大リーグの成功事例の秘訣を、
「スラッガーという肩書きを捨て、中距離バッターに転向した点にある」と言う。
このように、その他にも、多くのプロフェッショナル達は、
過去の栄光を捨て、全く違う分野に挑戦した経緯を持っていることが多い。
競争力の観点からしても、過去の事例に縛られるのは危険であると指摘されている。

私が出会った人の中で、最も危険な事例が
あるサラリーマンが業務知識を飲み会でひけらかすというケースであった。
双方で理解できるはずもなく、あまりいい気分がしなかった。
当然であるが、彼は人脈を持ちたくても持つことができない悩みを抱えていた。

学んだことはすぐに陳腐化する。
知識の蓄積はほとんど意味をなさない。

よって、いかに早く学んだことを捨て去るか、が鍵になってくる。
アップデートに多くの労力を割くべきである。

そのような観点から、自分も職に対しての志望動機を一度、白紙に戻すことにした。
posted by Kohei Ishikawa  [ リーダーシップ論 ]  - -

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