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TITLE : コンプレックスにまみれてみる

つくづくブログという・・・
いや文章というのは人を表すと感じる。

『文章とはまさに人そのものである。
美しい文章を書く者は美しい、
もしくは美しくありたがっている。』

と中学のときの国語教師が行っていた。

カッコつけたい自分
ひけらかしたい自分
認められたい自分
甘えたい自分

普段の生活では見えない『自分』がブログから垣間見える。
ブログは読まれるだけではない。
ブログによって精神を分析されるのだ。
『あいつはあ〜ゆ〜奴だ』と。
完璧主義の裏には欠落感があり、美しさの裏には醜汚感がある。
絶対性の中には反抗心があり、自由の中には不安がある。

しかしながら、分析されるだけ幸せなのである。
コミュニケーションが発達した反面、
人と人との心の距離が離れている。

優しい時間、
お金で買えない価値、
スローライフという言葉が流行る背景には
人と人とのコミュニケーションが明らかに不足している現状がある。

みんな、自分のことで精一杯だ。

話がそれた。

なんにせよ、僕は文章を書くのが好きだ。
言葉にできないから文章書いてるわけですよ!
笑われたっていいわけですよ!というわけです。
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TITLE : 生きのびるためのコミュニケーション

☆コミュニケーション能力について

色々とモノを知るにつれて、
昔、とった行動が失敗になり
ものすごい恥ずかしいものだったことに気づき、
やりきれない気持ちになるときがある。

数々のコミュニケーションの失敗、嗚呼・・・。

若さとは失敗ができることなのである。

一番、もったいないのは失敗していないこと。
失敗していないということは挑戦していないこと。

高いコミュニケーション能力は
数々の失敗がなくては養われない。

以前、後輩と
『草野球としてのサークル活動』か
『プロ野球としての自分の本当にやりたいこと』のどっちがいいか、という
問いを投げかけたことがある。
これは10人に9人は草野球で十分ですよ、と言う。

草野球としてのサークル活動をしているうちは
自分が打ったヒットをずっと打ち続けられると誤解する。
それで自信をつけるのはいいと思うが草野球は草野球なのである。
内輪では『殿様』でも一歩社会に出ればただの一個人になってしまう。

プロ野球は自分が本当にやりたいことのために
自分のやりたいことより
やれること、やるべきことを優先しないといけない。

そのような活動の責任感に気づいたことが一つの成長だったと思う。

P.F.ドラッカーは
『大工と話したければ大工の言葉を知り、語れ』と言った。

相手の言葉、主義信条、職業などを知らなければ
相手と話すことはできない。

同じ論理で言うなら、
『野球のピッチャーは投げたい球より勝てる球を投げなくてはならない』
ということになる。

コミュニケーション能力が高い人間には必ず共通点がある。
それは相手を知り、相手の言葉で語ることができるという点だ。
そして、そういう人は
コミュニケーション能力のなさを痛感した経験がある、と揃って言う。

つまり、
投げたい球を投げて負けたが故に勝つための球を研究し始めた、
という共通の経験があるのだ。

『バガボンド』の中で
宮本武蔵は宝蔵院に乗り込んだとき胤舜に完敗した。
強い自分は勝てる、ということしか見えず、
『強い自分は幻想だった』と痛感した。
剣の道とは強い自分を証明することではない。

コミュニケーション能力は
相手を言い負かすためでも自分の強さを証明するためのものではない。

相手の言葉と自分の言葉を紡いで関係と信頼を構築するものである。

これを肝に銘じておかないと、関係も信頼も生まれない。
それだけのことである。
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TITLE : 今一度、原点に返ってみる

政策フォーラムという勉強会で「政策研究の意義」について発表をした。

発表をするということは
「自分の知識を体系的にまとめ、伝える」という作業である。

参加者の大半が一年生だったため、
半分、自叙伝的な発表になってしまったのだが
自分の考え方を他人に理解してもらうという意味では
非常に意義深かった。

特にこの四年間で何を考えどう行動してきたか、を
見つめ直すことができたので、スタート地点に戻ってきた気がした。

「短期間で一つのテーマを集中的に勉強すること」を心がけてきたので
あえてそのロードマップを読み返してみるのも非常に参考になった。

社会学、経営学、経済学、政治学、情報学という横断的なアプローチは
さほど間違っていなかったと言い切れる。

自分のアプローチに疑問があったが、
また自分に何が足りないかを改めて考えさせてくれる。

もう一度、Back to the Basicで初めて見たいと思います。
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TITLE : コミュニケーションの難しさ

実は「僕はコミュニケーションが下手なこと」がコンプレックスなのです。

特に言葉の汚い人と会話をすることが苦手です。
言葉には意味が込められていて、その言葉には解釈がある。

だから、
言葉が汚い人が発する意味をどうやって汲み取ればいいのかわからない。

「怒ってる相手がいたら、無視すればいいじゃん」と
よくアドバイスされるのだけれど、
それでも相手の言葉を汲み取ろうとするから真に受けてしまって損をする。

相手が言った言葉を大切にするようにしている。
その人の心から汲み取ったキーワードはやはり心に響く。

ただ、そんな中でも掴めない人もいる。
何がしたいのか、何を求めているのか、何を考えているのか。

人間の言葉の裏に見え隠れする「感情」が見える時に、
感動することもあり、落胆することもある。

マクルーハンは「メディアはメッセージである」と言った。
僕は究極のコンテンツ、ソフトウェアは人間そのものだと思っていて、
例えば、「お腹が痛くなること」は
自分自身に「異常だよ」というサインを出しているメッセージだと思う。

人間でも「多くの言語、非言語」から多くの情報を解釈することができる。
その中でも最も難解なのが「沈黙」だと思う。

「黙り込む」という手段は
コミュニケーションを早く切り上げる最高の戦略である。と思う。

また、以前のウェブログでも言ったけれども
「上手いあいづちのできる人間は会話上手」ということだ。

大学を見てみると上級生であればあるほど
コミュニケーション能力が高い。如実にわかる。

恐らく文系の大学生の勉強することの本質は
最低限、読む、書く、聞く、話すといった
コミュニケーション能力を身につけることではないかと思う。

まぁ、俗にいう
「リテラシー」ってやつですわ。

「メディア・リテラシーとは、市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力をさす。また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという」
また、このブログのスタンスで言うと、
リテラシーとは本来「識字力=文字を読み書きする能力」のことで、情報リテラシーとは情報・情報機器活用能力がナレッジワーカーにとって“基礎的能力”であることを示す言葉だが、企業などにおける情報活用が高度化するに伴って、情報システムを企画し、業務のやり方を主体的に変えていく能力なども情報リテラシーの対象にする場合もあるようだ。http://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/infoliteracy.htmlより引用。


そういう意味では、未だに日本の情報リテラシー文化は
よちよち歩きの段階であることは言うまでもない。

こんなこと、前にも書いたなぁ。天丼でごめんなさい。

そろそろアメブロでミラーサイト作ろうかと思ってます。

それでは。
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TITLE : ブログを一年間書き続けて思ったこと

実は今日はブログを書き始めてちょうど一年になるのです。

一年というのは365日。
たまにサボることもあったし、
一日に3つ記事を書いたり自分の思うがままに書き続けてきた。

全部で記事が400個程度ある。
くだらないものから真剣なものまで。

ブログというのは
「日記」と社会的には解釈されている。

でも、書き始めた当時、
「何で日記なんか公開するんだろう」と思っていた。

実はその答えは今でもわからない。

ただ、ブログが流行して以来、
情報発信として「料理の作り方」とか「怪我の処置の方法」とかが
恐らくブログというメディアを通じて共有できただろうし、
個人で情報発信をしたかった人の気持ちも随分「晴れた」と思う。

一年前のウェブログを見ると
見るも無惨なお粗末な文章で書かれていて、
たぶん今日、書いたブログも来年見たらお粗末なんだろうと思う。

何にせよ、
ウェブログって言うのは「メディア」であって
「何かを伝えてなんぼ」だと今でも信じている。

ブログを書き始めて、
すぐ辞めてしまった人も何人もいるし
これから始めたいという人も何人もいる。

そういうウェブログが社会に普及する段階で、
このメディアがこれからどうなっていくかは誰も分からない。

ただ、ブログを通じて新しい出会いが生まれるのもいいことであるけれど
ブログを通じてストーカーさんと出会ってしまったり、
友人と中傷しあうことになったら、残念であると思う。
佐世保の事件もまさにそれで、
未だにインターネットはアンダーグラウンドな世界から抜け出せていない。

たぶん、後一年経ったら
携帯電話でインターネットのページが軽く閲覧できるようになるだろうし
全然違った形のメディアミックスが行われるかも知れない。

そんな中で「活字」ベースのウェブログが
どれだけ社会的な意義を持てるかをあと一年、傍観してみようと思う。
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TITLE : もう一度、ゼロベースで考えてみる。

長い旅路を歩くと、
ふとその道を何のために歩いていたのか忘れてしまう時がある。

もう一度、初心になって考えてみる。

自分には何が足りないのか。
何を得たのか。何を失ったのか。

ふと立ち止まることための息抜きもよいかと思います。


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TITLE : 普段、考えてること思ってることは言葉になって出てしまう

普段、考えてること思ってることは言葉になって出てしまう

人に質問をすることは人から知識を引き出すための引き金となる。
そして、人の言葉に聞き耳を立ててみる。

※疲れた・・・忙しい!

※あいつって○○だよ!

その人の言葉には普段からその人が考えてることが十分に含まれている。
言葉は言霊になり人を表す。

ある時、友人に関するコメントを求められたことがある。

○○君ってどう思う?と。

実は僕はその友人のことを「八方美人で真のない奴」だと思っていた。
すると脳みそが僕に「八方美人と言え!」と語りかけてきた。

思わず、
「そうねぇ、彼はやさしいと言われがちだけど結構八方美人なところがあるよ」
と言ってしまった。

あまりいい印象を与えなかったと思うので今でも後悔してしまう。

あんまり普段から卑屈な考えを持っていると
行動、言動が卑屈になり卑屈な人間と思われてしまう。

思考は言動となり、言動は人格となる。

邪念は早く取り去ったほうがいい。

転じて口は災いの元なわけです。
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TITLE : 睡眠不足は事故のもと


睡眠不足は事故の元です。
「24時間戦えますか!?社会」が到来したことによって
「夜勤」という雇用形態の数が増大しました。
「夜勤」には高い金額の報酬が支払われ、
多くの人が勤務している現状です。

MORE!↓
http://www.min-iren.gr.jp/search/06press/genki/136/genki136-2.html

しかし報酬が高い仕事はつらいの当たり前です。
つらい仕事にはストレスがつきものです。

ストレスがたまると感情的になりやすくなります。
感情的になると、人によく感情をぶつけるようになります。

ですから、人に感情をぶつけられることは
車をぶつけられることとあまり変わらないと思います。

ぶつけた人はぶつけられた人の気持ちがわからない。

だから、なるべく睡眠をよく取りストレスをためないようにしています。
感情をぶつけても犯罪にはなりません。

人に感情をぶつけることの残酷さを考えると
感情的になってはいけない。感情的になってはいけないと考えてしまいます。

人生はすべて等価交換だと思います。

楽した分だけ苦労する。

人に感情をぶつけてばかりいる人ほど傷ついているのだと思います。
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TITLE : 偏執狂(パラノイア)の時代

ハーバードビジネスレビューにも紹介されている偏執狂(パラノイア)についての論文についてかじってみました。偏執狂とは一つのことに異常な執着をもち、常軌を逸した行動をする人。偏執狂(へんしゆうきよう)。のことらしい。
当論文によると
信頼が存在することで、人間関係、いわんや組織は成立している。しかし、信頼を信用と履き違えたり、ましてや過剰に信頼しすぎたりすると、手痛いしっぺ返しを食らうことになる。インテル元CEOのアンドリュー・グローブはかつて「パラノイアだけが生き残る」と繰り返し述べていたが、多忙な人ほどパラノイアが必要であり、その必要性を心のどこかに刻んでおくべきである。


つまり、その疑い深さが問題発見、問題解決の鍵になるという。

信頼というものは優れた意思決定の鍵となるが
あまりに客観的すぎるため、誤った時に、正当性がなくなる。

おそらく、リスクマネジメントも
過剰なほどの問題意識から生まれると思う。

「何で、そんなことまでやるの?」といった感じ。
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TITLE : オリンピック井上康生敗退から見るセルフ・コーチング。

オリンピック柔道井上康生まさかの敗退。
気負いがあったのか。
異常な緊張だった、と監督も言っていた。

「自信」とは自分を信じる力のこと。
また、他者が期待をかけすぎて潰れてしまう選手も多くいる。

このニュースを見て、真っ先に思い出したのが
マラソン有森選手の「自分で自分を誉めたい」だ。
これこそ、自分で自分を100点だと言ってやりたい。
最高の勝ちの喜びを表している表現だと思う。

今の井上康生は
「アテネの中心で自分で自分をなじりたい」といったところであろうか。
言葉では井上康生は
「何のためにいままで頑張ってきたのか。
 疲れていた。1回戦からおかしかった。前に出る圧力がなかった」
と落胆しており、自分を責め続けているであろう。

ふと考えたのだが、
成功とは何か。失敗とは何か。

成功とは、自分の設定した目標・仕事・計画に到達すること。であり
失敗とは、自分の設定した目標・仕事・計画に到達しないこと。である。

そう考えると、
高すぎる目標を持ちすぎるとかえって失敗したときの落胆が大きくなる。

逆にオリンピックでも4位に入選したことで涙して喜んでる人もいれば
「最高でも金、最低でも金」と自分を追い込んでいる人もいる。

僕もスポーツの経験で喜怒哀楽を乗り越えることに苦労した時期がある。
バスケットボールで友人が一本シュートを入れただけで
涙してガッツポーズをしているのが信じられなかったり、
負けてもヘラヘラしていることに腹立たしさを覚えていたことがあった。

しかし、その時の僕の考えは非常に浅はかで
自分のチーム、自分の実力をはき違えて高く見すぎであった。
ある意味、自信過剰なのか、スラムダンクの読み過ぎなのか・・・。

何が言いたいかというと、
他人の評価も含めて適度な自分の実力を知らなければ
失敗ばかり繰り返して自信をなくしてしまい引退へと追い込まれることになる。

己を知りて敵を知れば百戦危うからずとは
実に中国三千年の歴史から来る最高峰の名言である。

自分の実力に合わせた目標設定こそが
最高の自己実現の鍵になると思う。

弱さを強さに変えるセルフコーチング
弱さを強さに変えるセルフコーチング
辻 秀一
posted by Kohei Ishikawa  [ 精神世界 ]  - -