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TITLE : 魂の放射だ。

絶望に効くクスリ 1―ONE ON ONE (1)
絶望に効くクスリ 1―ONE ON ONE (1)
山田 玲司

最近、どうもヘコみがちなので、
ビデオを返しに行ったついでに、漫画コーナーをフラフラしていた。

そこにはキラリと光る漫画が。
「絶望に効くクスリ」

面白そうだったので読んでみたら、ほんまに面白かった。

文化人類学者からカリスマホストまでの小さな偉人伝。
背伸びをしない偉人たち。
そして、心に響く金言。

8巻まであるらしいので、卒業までに集めようと決めた。
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TITLE : 映像は記憶か、記録か。

最近、デジャヴがよく起こる。

同じような環境、同じような行動、同じような人間関係、同じような会話。
いつまでたっても同じことばかり・・・。

仕事をするとそんな錯覚に襲われる。

人は非日常を求める。
そのために旅行をするし、冒険をする。
また、どんどん進展していく恋愛も楽しみの一つになる。

僕らは思い出の中に生きている。
素晴らしかったあの頃・・・というように過去を美化し、
今のつまらない現実を見ようとしない。

しかし、そんなつまらない現在でも過ぎてしまえば、一つの思い出になる。

是枝監督の出世作に「ワンダフルライフ」という映画がある。
これは天国に行く死者に対して、人生のクライマックスのビデオテープを作る、
といった物語である。

自分が死者となった瞬間、こう問われる。

「あなたの人生の中から
 大切な思い出をひとつだけ選んで下さい。
 いつを選びますか?」


僕が本格的に「映像」に興味を持った作品でもある。
映像とは何だろうか。記憶か記録か。

人間の記憶というのは、都合のいいように捏造される。

人が言語で表現できる範囲は情報の5%だと言う。
だから、人は「思い」を込めて伝えることでしか手段を持たない。

本来、映像はあくまで記録であり、
人によって様々な解釈がされるべきオブジェクトでもある。

しかし、今、世の中に存在する映像のほとんどは、
「編集」によって意図的に書き換えられている。
よって、それらは「記録」ではない。

話を戻すと「記録」は日常を表現しうる。
しかし「記憶」は思い出となって呼び覚まされると共に、
非日常を表現しうる。

よって、人は非日常を表現しうるために「編集」という技法を学ばざるを得ない。
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TITLE : 東洋的目線

タオは笑っている
タオは笑っている
R・M・スマリヤン, 桜内 篤子

「タオは笑っている。」をXJAPANを聞きながら読破した。
ちなみに確か原書は”The Tao is silent”
「タオは黙っている。」ではないところが劇的に渋い。

中身は衝撃的に面白い。

一つは最後の対談 『楽天対談:レイモンド・スマリヤン vs 松岡正剛』

レイモンド・スマリヤンは数理学者、論理学者。
プロフェッショナルな手品師にしてピアニストでもある多芸な奇才。

花鳥風月の科学にもかなりリンクするものがあるが、
ここで語られていることは「無為自然」であり、老荘思想なのである。

人間に「徳」さえあれば、法律による強制や教育も必要なく、
自然の本性によって強化されていく、ということ。

わかりやすく言うと
『「俺はスゴいんだ!みんな、俺について来い!」という
  傲慢を捨て、欲を持たず、真摯に努めよということ』である。

ここで「動的情報」が頭に浮かんだ。

「動的情報」とは、情報をいかにして、
発信しやしく、また受信しやすくするかという話である。

これは鈴木大拙の「東洋の心」に通じる。
鈴木による情報の伝達の解釈は、結局、人の心にあるのだという。


というわけで、
本書と並行して、金子郁容の「ボランティア」を読み返した。
「ボランティア」は学生のうちに読んだ本の中でも五指に入る名著だ。

金子郁容の振る舞いを松岡正剛は「寂寞」であると語っている。
「寂寞」とは、ひっそりとさびしい様のことである。

しかし、この寂寞は「一人が他人を支える様」のための
振る舞いであると語っている。

この淡白さ加減が、
金子が多くの人を支える要因になっているのではないか、
みたいなことである。

 
金子さんは韓国出身の父と何代も続いた江戸ッ子の母を両親にもつ。
金子さん自身はアメリカでアイルランド人と結婚して、離婚した。
 そうした経歴をもった金子さんには、
「一人ずつが町や国や社会や民族だ」という意識があるとおもわれる。
千夜千冊より引用


金子は個人として、一人の他者を支えることができなかった。
これが、ボランティアの起源ではないかと思う。

色々と考える節があるのでつづく・・・。


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TITLE : ついカッとなって書きました。

前にも一度、書いたけれど、
このブログは一度、紙に起こしたものをブログにしています。

これはこのブログを始めたときからの鉄則・・・といいつつも
たまに生で書き込んでしまう。

それは何でかというと、
「ブログは作文である」と思っているからです。

皆さん、小学校の時、作文を書いたと思います。

真っ白な原稿用紙。
削り立ての鉛筆。

さぁ、何を書こうか・・・と考えるだけでワクワクする。

そんな経験ありませんでしょうか。

僕は小論文が三度の飯より好きなので
自前で原稿用紙を持っています。あと電動鉛筆削りとHの鉛筆も。

落ち着いて淡々とした文章を書くには紙に落とそう by樋口裕一

よく明らかにカッとないて書いたブログに出くわします。
夜な夜な書くと沸々とした思いが文章になってしまうんですね。

故人曰く「ラブレターは寝る前に書け!
ついでに「ブログは朝飯前に書け!」っていうこと。
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TITLE : 雰囲気ばかりは読めない

 
ぜんぜん能楽の話にはならず、大学におけるアカハラ問題、セクハラ問題などについて、シビアな情報交換が行われる。こういう事件は当事者間に双方向的な対話の回路が確保されていれば起こりえないことである。私たちの日常的なコミュニケーションはほとんど無限の誤解の可能性に満たされている。
 誤解している人が多いが、コミュニケーション能力とは、そのつど政治的に最適な言葉を正しい統辞法に従って語る能力ではない(そのような能力を備えた人はほとんどの場合「私はそのつど政治的に最適な言葉を正しい統辞法に従って語る能力のある人である」という以上の内容のメッセージを発信していない)。
 そうではなくて、コミュニケーション能力とは、「よく意味のわからないメッセージ」を前後の文脈から、相手の表情から、音調やピッチから、みぶりや体感から推量する能力のことである。
 言い換えれば、「コミュニケーションにおける誤解の幅を許容範囲内にとどめておける能力」のことである。
「言った言わない」とか「そんなつもりじゃなかった」とかいう種類の話が行き交うというのは、当事者間で「誤解の幅」についての適正な相互了解が成り立っていないことの結果である。「誤解の幅」についての相互了解が整っていれば、極端な話、相手の話が聴こえなくても、コミュニケーションには何の支障もないのである。アカハラ問題、セクハラ問題ある種の「コミュニケーションの病」と考えるべきだろう。
 それが頻発するようになったというのは、別に社会組織がいきなり邪悪なものになったということではなく、社会人のコミュニケーション能力が低下しつつあることの症候なのだと私は思う。だから、「自分の身に何が起こり、自分はいまどういう状況の中に置かれているのか」をまわりの人たちに、短くわかりやすいことばで説明できる人は、こういう問題にめったなことでは巻き込まれないのである。


内田樹のブログより

内田樹は実は「うちだたつる」と読む。
でも、僕は口語では「うちだいつき」と呼ぶことにしている。
どうしてかというと、友人に内田樹を紹介する時、
「うちだいつき」は語感がよく本屋でも見つけやすい。
たぶん、直感的に「うちだいつき」と認識してる人が
読者の90%くらいではないかと。

でも、たまに
「石川さん、これは“いつき“ではなく“たつる“ですよ。老婆心ながら」
って人がいる。

それもそれでいいのかも知れないけれど、
「誤解がある前提」を考えると
「いつき」という言葉を使い続けないといけない。
誤解の振れ幅を考慮した上での発言をしなければならない。

そう考えると、インターネット上のコミュニケーションなんて
読者の思想も宗教も年齢も性別も知的レベルも
全て無視して書いていやしませんか?

この文章の読者は少なくとも想定した個人が存在する・・・はずである。

それとは別に
最近「言った、言わない」のモメ事があった。
そんなこと言った記憶はない人とそんなことを聞いた記憶はない人。
おそらく、どっちの存在も無意味だ。

少なくともどちらかにコミュニケーション能力がないことは確かだ。

「伝える力」「聞く力」のどちらかが足りないと
明らかにコミュニケーション不全が発生する。

ただ、こういった状態で一番、問題なのは自分の否を認められない人。
相手が悪いということで自分を正当化したことで喜んでいる。
そうして、本質的な問題に向かい合えていないこと気づかない。

某コンサルタントの真似をすると

「お前はもう死んでいるっ!!」
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TITLE : それは人脈ではない。

あんまり多くの人に言っていなかったのですが
Mixiを退会し、新たな形でスタートしました。

色々な理由があるのですが
一番大きな理由は、Mixiはコミュニティ志向を狙っている割に
99.99%のコミュニティが機能していないような感じがするのです。

そして、確かに人々の人脈作りを「支援」をしているわけです。
しかし、本質的に支援しているのか、という疑問があります。

それに対して、
情報公開のレベルを操作できるわけですが、
その人の志向性と友人のレベル分けができない点に
不満が残りました。

つまり、ノイズが多すぎると言うことです。
例えば、
僕の小学校の友達の音楽の趣味や高校の友達の日記を見て、
本当に面白いと思えるのか。
また、逆に僕の小学校や高校の友達が僕の日記を見て面白いと思えるのか、ということを考えました。

ある作家(村上龍?)の言葉で
「私は作家を初めて30年来、興味深い文章に出会ったことがない」という
とんでもない発言があります。

それを逆説的に捉えるなら、
「Mixiで興味深いコンテンツを発信できる自信がない」という
結論に達しました。

ある社会学者はそれらをMixi疲れと標榜しています。
--------------------------------------------------------------------
【ミクシィユーザーに課せられた5つの暗黙のルール】
・マイミクの日記は全て巡回し、定期的にコメントを残さなければならない
・自分の日記にコメントがついたら、必ずレスをつけなければならない
・マイミクのマイミクとは仲良くしなければならない
・オナニー日記をスルーしてはならない
・本当のことを書いてはならない
--------------------------------------------------------------------

また、フューチャープランニングネットワークでは
「義務化するコミュニケーション」という題目で
ネットコミュニティの本質に迫っています。
http://www.future-planning.net/x/modules/news/article.php?storyid=1551

「つながり」「ネットワーク」
「人脈」「出会い」という言葉がありふれていて本質が見えない。

ある交流会では、名刺だけ交換して、その後は何もなし。
そんな経験がある方も多いかと思います。

本質的なものは何でしょうか。

それは間違いなく「友達」でしょう。

大学の友人が「親友とはSNSしたくない」と言っていたのですが
なんとなく確信を持って理解できたような気がします。
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TITLE : 学生の時に会っておくべき人

前回のコンサルの話の続き。

学生の時にしか会えない人に会いなさい、と言われた。

今まで完全にミーハーではあるが、
日本を動かしてきた人たちにお会いしてきた。

某総研の代表
日本のポップカルチャーに多大なる影響を与えた人
i-modeを作っちゃった人
29年目も売れ続いている日本最高のバンドメンバー
28歳で業界を揺るがすコンサルティング本を書いちゃった人
アジアにおける経済思想のグールー

日本を動かす人を見ると、日本を動かしたいと思う。
そういう人に会うことが自分を刺激してきた。
今の自分は、こんな人に出会ってきたから存在する。

そして、もう一人、日本を動かした人と
今週末、お忍びで会うことになった。
お忍びなので、本当に秘密。

ただ、学生の時に出会った人は
一生涯の価値観を作る要素になることは間違いない。
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TITLE : 「面構え」という話

最近、気づいたことがあるんです。
社会人になった友人の「面構え」が変わっていたこと。

最近、気づいたことがあるんです。
結婚した従兄弟の「面構え」が変わっていたこと。

最近、気づいたことがあるんです。
留年した友達の「面構え」が変わっていなかったこと。

責任を背負うこと。

それが人間を成長させるのであると思います。
少し嫉妬を感じます。
自分はまだ学生でいるのか、と。

石川県に来て、強く感じたことが「車の必要性」です。
僕は免許も車も持っていません。
僕の生まれの横浜では車を必要だと感じたことは
一度もありませんでした。
車は金食い虫であり、学生が持ってもメリットはない、と。
しかし、田舎ではろくに生活もできません。

僕が持つ意思がなかったのは、「車の免許」ではなく
「それを背負う責任」であったのかもしれません。
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TITLE : アカデミックとは理性的に物事を考えられるということ

アカデミックとは
理性的に物事を考えられることだと思う。

特に
自分の考えを論理的に
説明できることが前提である。
ただ、感情的な行動、文章が物事の大半を占めるため
アカデミックはよく実際的ではないと
揶揄されがちである。

僕はよく

問題なのか

悩みなのかを

分類するよう心がける。

問題とは構造的なもので
悩みとは精神的なものだ。

問題には必ず構造が存在する。
それを解明するのが科学だと思っている。

医学、医療で例えるなら
医学とは体の問題を解決する構造的な解決策で
医療とは宗教性を含む精神的なものも含んだ
解決策であると思う。

このウェブログでは
比較的、理性的なことを書こうと心がけている。

しかし、僕自身も人間であり、
複雑な感情な安定しない感情を持っている。

悩みだってあるし、
ひがむこともあるし、ヤキモチだって焼く。

だって、人間だもの。

そう考えるとアカデミックとは
人間が人間を超越しようとする挑戦なのかも知れない。
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TITLE : 11月は楽しみだ。



11月は楽しみだ。

まず、「日本の論点2005」が発売する。
それに連動して、
現代用語の基礎知識、IMIDAS、知恵蔵も発売する。

日本の論点は1998年から読んでいる。
本当に面白い。
今、並べてみると時代の変遷がわかって面白い。
今年はたぶん「現代用語の基礎知識」を購入すると思う。
高い日本語力としては定評が高いからだ。

ちなみに毎年、三つを回して購入しているので
前回、
現代用語の基礎知識を購入したのは大学1年生の時になる。
その前は高校1年生か。

加えて、
大前研一が「企業参謀」以来の論理的思考本を出すらしい。
「考える技術」という本だ。
考える技術
考える技術
大前 研一
でも、大前研一はチャイナ・インパクト以来、ヒットがない。
今度は期待するけど、もうそろそろ・・・。
いや、こんな話はやめておこう。

とかく、色々と一年の集約がなされる11月。

流行語大賞について考える11月。

楽しみだ。
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